
こんばんは。管理人TAKU(@takulog0712)です。
皆さんは「百聞は一見に如かず」という諺(ことわざ)を一度は聞いたことありませんか?
色んな人の意見を聞くよりも、自分の目で見た方が早いという意味で世間に浸透していますが、
実はこのことわざ続きがあるというのはご存知ですか?
今回はその百聞は一見に如かずの続きと真の意味をお答えしていきたいと思います^^
百聞は一見に如かずは「百聞不如一見」という漢文からきた言葉
百聞は一見に如かずという言葉は、もともと「百聞不如一見」という漢文であるとされています。
漢文って懐かしい響きですし、管理人は苦手でした。
そんな話はさておき、実はこの「百聞不如一見」は
「漢書・趙充国伝」の中で出てくる言葉なのですが、実はこの後の言葉で
「百見不如一考」「百考不如一行」「百行不如一果」と続く言葉が存在するのです。
つまり、百聞は一見に如かずというのは、あくまでも一部を抜粋したものであり、本来の意味はまた別のところにあるということなのです。
では、この続きの部分意味を見ていきましょう。
百聞は一見に如かずに続く意味とは?
上記で少し紹介した、3つの言葉
「百見不如一考」「百考不如一行」「百行不如一果」ですが、それぞれは一体どういう意味をもつのでしょうか?
それぞれの漢文を分解していきましょう。
まず、百聞は一見に如かずの元となる「百聞不如一見」に訓点を入れてみましょう。
百聞不(レ)如(二)一見(一)
となります。レ点などで日本語に変換していくのが漢文の読み方ですが、
この条件と同様に上記の3語を直すと以下のようになります。
- 百見不(レ)如(二)一考(一)
- 百考不(レ)如(二)一行(一)
- 百行不(レ)如(二)一果(一)
上記のようになります。
百聞 一見 不如
となり、不如で如かずと読めます。つまりそれぞれの意味は以下のようになります。
「百見不如一考」は百見は一考に如かず
「百見不如一考」は百見は一考に如かずと読むことができ、
単純に意味を訳すのであれば、
百回見るよりも一回考える方が良い
ということを示しています。
「百考不如一行」は百考は一行に如かず
「百考不如一行」は百考は一行に如かずと読むことができ、
単純な意味は
百回考えるより一回行うする方が良い
ということを示しています。
「百行不如一果」は百行は一果に如かず
「百行不如一果」は百行は一果に如かずと読むことができ
単純な意味は
百回行うより一回結果を出す方が良い
ということを示しています。
真の意味は結果を出ためのプロセスを語るもの
百回の○○より△△の方が良いといったニュアンスを持つ、このことわざとそれぞれの意味順に並べると
聞く<見る<考える<行う<結果を出す
となっております。
しかし、この観点で行くと少し強引というか
聞くよりも見た方がいい。しかし、見るなら考え行動し、結果を出せ!!
といった強いニュアンスになってしまいますが、この思考は間違っており、
あくまでも結果を出すための逆からの思考です。
逆からの思考でお話すると
結果を出すためには、行動や思考が必要であり、そのヒントは見たものや聞いたものの中にあるということです。
全ての物事は見たり、聞いたりから始まる
日本人というのは、協調性の高い国民性を持つ反面、人と異なる性質対して拒絶しやすい性質も持ちます。
例えば、
- 「ブログは稼げるよ」
- 「YouTubeは稼げるよ」
- 「投資は稼げるよ」
といった言葉が社会に流れた際に必ずと言って出るが
「怪しい」「そんなの一部の人だけ」
など否定的な意見が多くなります。
事実、怪しい人もいますし、全員が全員稼げるといった世界でもないです。
その為、否定的な意見を否定することは不可能ですが、
人の可能性なんて誰にも分りません。
このブログを読んだ方がブログを始めて上手くいく可能性なんて思ってるより高いですし、
ブログを書くことが苦手で諦めてしまった方でも、話しが上手で、YouTubeでは成功するとか、そういった可能性なんて大いにあります。
失敗する可能性ももちろんあるかも知れませんが、一つだけわかることがあります。
もし、否定的な意見をもって、自分自身の可能性を否定した場合
全ての可能性が0になるということ。
成功もしない、失敗もしない。つまり完全なる無は聞いたことを否定することで起こるのです。
本記事で伝えたことを振り返ってほしいのですが、
結果を出すためのプロセスの中で、聞くこと、見ること自体は平等に与えられる可能性であるということです。
自分に自信がないという方も多いでしょうが、
生まれた時から自身満々な人などいないです。
小さな結果が自信の基礎となり、大きな結果につなげていくものです。
まずは小さな結果を出すことから初めていきましょう^^