桃太郎の桃を自分なら拾う!?怪しむ!?昔話が教えてくれる大事なこと~桃太郎編~

こんばんは。管理人TAKU(@takulog0712)です。

大人になってふと冷静になると「おかしいな」って思うこと沢山ありますよね。

そこで思ったのが、そもそも桃太郎に出てくる桃って規格外のサイズだよね?と思うのです。

もし、現実にそんなサイズの桃が流れてこようものなら

怪しくて見逃すか、現代風でいうなら写メだけとってSNSにアップ!!ってのがいいところ。

そんな桃太郎の「桃」をテーマに色々と現代に当てはめて考えていこうと思います。

大きな桃に対し、恐怖(怪しい)と興味は同じ思考!?

桃太郎のように大きな桃が川から流れてきたときに

「なんだこの大きな桃は?」

と感じるのは当たり前だと思うのですが、

恐怖と感じる、興味を持つの根本の感情は同じだと思います。

というのも、その「大きな桃」の実態が分からないことに対し

恐怖を持つか?興味を持つかの違いであり

「分からない」という感情は同じなのです。

分からないことを怖がることは自然なことであり、
また同時に興味を持つということも感情の中では自然なことです。

その為、感情の中に

「怖いけど興味がある」
「興味はあるけど怖い」

といった両方の思考も存在するのです。

恐怖と興味の結果を変えるのは選択肢

現実で大きな桃の中から子供が出てくることはまずありえませんし、おばあさんが桃を取ったのも物語であるからですが、

大きな桃に対し、恐怖と興味を抱いた場合、物事の結果を変えるのは選択肢です。

恐怖を感じ見逃すというのもまた答えの一つであり

興味を持ち持ち帰るというのもまた答えの一つです。

どちらを取っても正解という中で、何を選ぶかは自由であり、選んだ先に異なる結果があるというのが本質です。

異なる結果を生むために重要なことは「異なる選択を取る」

恐怖と興味は同じ感情から始まり、選択肢により結果を変えるという話をしましたが、

自分自身の人生の結果を変えたい場合は異なる選択を取るという簡単な答えがあります。

いつも恐怖を選び損をしているという感情があるのであれば、興味をとり、

いつも興味を選び損をしているという感情があるのであれば、恐怖をとる。

そのことにより、結果が必ずしも良くなるとは言えませんが、

今までとはまた違う答えが生まれることは間違えないのです。

恐怖から興味に変わったとき、興味にしてよかったという事もあれば、恐怖のままでよかったと思うこともあり、

興味から恐怖に変わったとき、恐怖にしてよかったという事もあれば、興味のままでよかったと思うこともある

というもの。恐怖や興味のままでよかったと思うぐらいなら変えない方となった場合でも

今までしていた選択は悪いものであるという思い込みから
そこまで悪い選択ではなかったという思考の変化をつけることが可能であり、
思考が変わることで、同じ現象に対しても、
異なる角度で物事を見ることが可能になるという結果を作ることが可能です。