こんばんは。管理人(@takulog0712 )です。

本日は、管理人の思うことをどん!!と書いて行こうと思います。

日本の教育はおかしい。先に生きたものが偉いのではない。

管理人は日本人の両親を持ち、日本に生まれた日本人です。そして教育も特別なものではなく、ごく普通の義務教育と普通の高校、大学に進んできたごく普通の一人の人です。

しかし、中学校辺りから思っていたのが『教師は何故勉強を進め、何故いい会社に入れ』というのか?ということです。

この時はもちろん生まれて13~15年。部活や遊びを楽しんでれば生きていける年齢なので深く考えることってないと思うはずです。でも私が不思議に感じていたのは

教育実習生が次の年に先生となってくる。って事です。ん?普通じゃないの?って思うかもしれないですし、教育実習を終えた大学生が教育免許を持ち、学校の先生になる事は何ら不思議なことでもありません。しかしです。大学生から公務員として教師になる事が多いこの日本のシステムでは、その教師がいい会社に入れと教えることは非常に無責任です。

そうですよね?いい会社の基準が何なのか?その経験がない人が、何を基準にいい会社と決めるのですか?勉強をする為の理由の模範解答のマニュアルがあるのか?そう思うレベルで教師は口を揃え、いい会社に入る為だといいます。

  • 将来はお金持ちになりたい➡勉強していい会社に入れば大丈夫
  • 社長になりたい➡勉強していい会社で学べばなれる

まあ子供やる気にさせることは可能ですが、これはただの子供騙しであり、答えではない

野球選手やサッカー選手を目指す学生には野球やサッカーの強い高校に行こう。まぁそれはわかります。ただ実力のある選手であれば勝手にスカウトされるのでこの辺りは例外でしょう。

話を戻しますが、一言に『いい会社』って言うのは決して良くないことです。もし、そこで反論しようものなら『大人の言うことは聞いておけ』ってもはや謎回答。

この『大人の言うことは聞いておけ』っていう言葉は、完全に日本の教育がおかしくなっている要因と考えても良いのではないでしょうか?

時代は平成。その平成ももう終わる。常に時代の常識は進化する

上記では少し、教師を敵視する書き方をしていますが、どの教師が悪いとかではないです。問題はその時代の風習を変えずに来た文化です。

というのもその教師もまた小さな頃に何かそういった教育があったからそう発すると考えます。つまり掘り下げていけば、どこかでそうなった文化があるはずなのです。

いい会社で働き、給料を貰うこの労働が美学とされるのは一体いつからであるか?それは定かではありませんが、どこかでそうなっているのは事実でしょう。例えば日本にはこのような言葉があります。

『欲しがりません。勝つまでは』

戦時中に、贅沢は敵であるというものがありますが、こういったものが影響しているのではないですか?

日本においては新しいことに挑戦する人や、決意に対し一斉攻撃を仕掛けることがありますが、労働美学を信じる方が、労働のスパイラルを抜けることを贅沢と考え『奴は美学に反した』という気持ちが敵視に変わる。そう捉えることも可能です。

はっきりいって時代も状況も大きく変わった現代においてはいつまでそんなこと言ってんだ?と私は思います。日本の四字熟語の中には『温故知新』『古きを得て、新しくを知る』といった言葉がありますが、新しくを知ろうとするのは一部ではないかと思います。

親が子に与えるもの。子が親から得るものは多すぎてもダメ

人は必ず誰かの元に生まれ育ちます。つまり親子の関係は如何なる時もあると言えます。

そして親は子を守り、子は親に守られ成長します。子にとっては親は偉大なものです。しかしどんな子も必ず成人になります。その為、親にとっても子離れ、子にとっても親離れしないといけない時は必ずあります。

そしてこれが意外と難しい関係性なのです。親から見れば子のすることに心配するのは仕方のないことです。しかし、それ故に『〇〇はしてはいけない』『〇〇はした方がいい』とついつい言ってしまします。

もちろん礼儀やマナーの話においては良いことです。『挨拶はしなさい』『嘘はついてはいけない』といった一人の人間として社会を生きる為に必要な要素となるものですので。ただそれが行き過ぎることで『こんな仕事はダメ』『こういう仕事をした方がいい』と言ってしまう方も多いです。

そして一番問題なのがその発言を真に受け『親がダメと言ったから』と子が言ってしまうことです。何故問題なのか?それは子の思考をシャットアウトし、親の思考で育っていくことなってしまっているからです。

例えばですが『IT系の〇〇企業は副業もできるみたいだし働きながら色々挑戦していこうと思う』と子が親に相談したとしましょう。

それに対し、『社会人になったらそんな時間無いぐらい忙しくなるからもっと手に職付けたほうがいいよ』親が回答し、子が『確かにそうかも知れないな、親のゆう事聞いて間違ってたことなかったしな』なんてなってしまえば、本来したかったことをしない方向に動くことになります。

この会話を聞いたあなたはどう思いますか?

私は子の生きたい人生はどこにあるのだろうか?そう思います。

つまり親が子に与えるものが多すぎれば、子が親から貰うものを多くなりすぎ、その結果、子は親の思考で生きるようになってしまいます。

自分が何をしたいのか?もう一度自分に確認しよう!

人は一人で生きている訳ではないということはどんな人でもわかります。多くの人に出会い、別れ、時には助けられ、助ける。そうやって成長していくものです。親に出会い、友達に出会い、教師に出会い、上司、同僚、部下に出会いしていくものです。その中では多くの事を学び、また多くの事を教える。それが繰り返さえれるものです。その流れは良いことでもありますが、

『今自分のしていることに後悔はないですか?』

と問われた時、後悔は無いと言い切れますか?

やりたいことがあったが親や友達に止められくすぐっていることはないか?もしあるのであれば

自分の人生を生きることをしませんか?と思います。自由奔放に生きれば批判を浴びる社会ではありますが、批判を浴びることを恐れ何もできない人生となればそれって自分の生きたい人生であったのか?という問いに迷いが生じるはずです。

くすぐっている何かがあるのであれば、リミットを外して生きていくことも重要だと管理人は思います。